私の音楽遍歴20枚

「私の音楽遍歴20枚」という投稿を最近SNSでよく見かける。

 

中学生のとき・高校生のとき・大人になってから・今現在 好きなアルバム、5枚を選ぶという、その人の音楽遍歴が少しわかる投稿だ。

 

私はやってみようかなと思ったが

5枚ずつ、選べなかった。

 

というのは、中学生、高校生のころ

わたしの親はちょっと厳しくて お小遣いを3000円くらいしか、くれなかったし

当時は、スマホもなけりゃ、YouTubeももちろんない時代だったので

音楽に興味はあったものの、

アルバムを買ってじっくり聴くということは、ほとんどしてなかったのだ。

 

じゃ、何で音楽を楽しんでたのかというと

親が家にいないとき、こっそり、テレビをつけて、「MTV」だの、「スペースシャワー」だのを、何時間も延々と視聴することだった。

 

 

つはるの音楽の原点は、

MTVと、スペースシャワーなのだ。

 

 

中学生のころ、

スペースシャワーでは、モーニング娘。が席巻しており

MTVでは、レッドホットチリペッパーズのライブ映像が何度も何度もかけられていた。

 

ある日、MTVをつけると、また、レッチリのライブ映像が流れており

中学生つはるは

「また、裸の男たちだ。」と思ったが

暇だったので見ていた。(メンバーの3/4くらい上半身、裸だったような、イメージ)

 

レッチリのあと、ビョークのMVが流れて

 

それが初めて、ビョークの音楽に触れた瞬間だった。

 

ものすごい衝撃を受けた私は、とっさに紙に「bjork」とメモして

 

次の日、隣町の新生堂というCD屋へ行き、

メモを握りしめながら、洋楽の、「B」コーナーで、ビョークのCDを見つけたとき

 

ふぉぉぉぉぉ!と思ってやばかったのをいまだに忘れられない。

 

しかし、アルバムを買う金なんか、ないため

CDを手に取り、舐め回すようにジロジロ見つめて

ふぉぉぉぉぉ!となってるしか、できなかった、

 

その時の自分を思い出すと、かわいいなぁと思う

 

 

で、ビョークのCDの帯に

日本語で「人間の声だけを重ねて録音した曲が入ってる」みたいなことが書いてあり

 

中学生つはるは、!!??と思い

 

ふぉぉぉぉ、聞いてみたい、ふぉぉぉぉ

となっていた。

 

人間の声だけで、できた曲って、なに!?!?と、衝撃を受けていた。

 

 

かわいい。

 

 

いまだったら、あぁ、そういう音楽、あるよね。で終わるのに....

 

 

結局、そのアルバムを通して聞いたのは

大学生になって、神保町にある「ジャニス」という、レンタルCD屋(いまはない)で借りて、聞いたのだけど

 

悲しいかな、その時は、中学生つはるの頃感じた「ふぉぉぉぉぉ」って気分にあまりなれなかった....,ビョークの歌はしびれるしサウンドも幻想的でかっこいいけど

大人になってしまうと、衝撃や感動が薄れてしまうのかもしれない。

 

悲しい。

 

 

もう、いい年齢になり

 

ふぉぉぉぉぉと思うことはほぼなくなってしまった。

 

それでも、時々、知らない音楽をきいて、

若干、

ふぉっ?と思うことはあるので

そういう時は楽しい

 

 

女に生まれてよかったこと

「女に産まれてめんどくさいなぁ」と思うことがある。

 


毎月来る生理、それに伴う不調、生理用品の出費。

毎月、女ってめんどくさいなぁと感じる。

 


あとは、男に比べて体格差があるので、男と殴りあいすると負けてしまう、不利だとか。

 


以前スーパーで男に、レジ並ぶ位置がちがうだろと怒鳴られて、怒鳴ることないじゃんと思ったので、うるせえなと言ったら、男がブチギレたことがあった。そのとき少し怖かった。

こういう時、男だったら、そんなに怖くなかったのかもな、そもそも私が男だったら怒鳴らなかったのかもな、あー女ってヤダなと思ったこともある。

 

 

 

そんなわたしでも

「女に生まれてよかった」と心底、思ったことがある。

 


それは、高校生の頃の部活動でのことだ。

 


部活は吹奏楽部だった。

 


所属していた吹奏楽部は年に2回、コンサートをするんだけど、

そのコンサートでは、日本のポップスの曲を演奏するとき、かならず、男子部員がなぞの寸劇をやることが慣例となっていた。

 


男子部員は、男だからという理由で、寒い寸劇をやらされていて、かわいそうだった。

 


もし私が男子部員で、寒い寸劇をやらされる羽目になっていたらとおもうと、ぞっとする。

 


生理よりいやだ。あの寸劇をやらされるのは...

 


あのときは、心底、女に生まれてよかったな、と思えた。

 


でも、それ以外は女に生まれてよかったなと思うことは特にないし

女ってめんどくさいな〜と悶々としながら暮らしています。

 

 

 

成長

少し前のこと。

 

今は使ってないメールアドレスがあり、久々にログインして過去のメールを見て懐かしんでいた。

 

10〜15年くらい前に使っていたメールアドレスで、送信ボックスには、いろんな写真があり、思い出を懐かしんでいた。

 

送信ボックスの中に、件名や本文のないメールがひとつあり、?と思ってよく見たら、音声ファイルのみ添付されていた。

 

なんだこれと思って開いたら

私がベースを弾きながら鼻歌交じりに歌ってる10年以上前のデモ音源だった、、、

 

・・・真顔になって、とてもじゃないが最後まで聞けず、わたしはすぐそのメールを削除した。

 

久しぶりに恥ずかしい気分を味わったのだった。

 

ちなみにその曲は、1人で音楽活動を始めた最初期の頃、ギター弾き語りで歌ってた。

たぶん、5〜6回くらいライブハウスでも歌った気がする。

 

どんな曲かというと

サビで「いいな、いいな、人間っていいな そんなのは嘘だよっ 人間はめんどくさい もしも生まれ変わるならナメクジになりたい」と激しく歌い上げる歌だった。 ・・・(また、この記事を書きながら真顔になってます)

 

 

タイトルは「にんげんっていいな」

 

わたしは、だいぶ、人間不信だったのかもしれないな。

 

10年経った今は、なめくじには、なめくじにしかわからない、人間にはわかるわけもない、つらさ、苦しさがあるのでは?と思う。

 

例えば、天敵の存在だったり

塩をかけられる恐怖など。

 

生き延びるために彼らはさまざまなものと戦っているにちがいない。

 

10年前の、わたしは、なめくじになりたいと歌いながら、なめくじの気持ちとか考えられてなかった。

 

 

今では、自分とは環境の違う生き物も、自分とは違う苦しみや辛さを抱えているのだと、考えられる様になった。

 

想像力。

 

それが、10年という月日を過ごして、いろんなことを経験して、いろんな人と関わり接することで、得たもの。

 

それはよかったことと思った。

 

 

2036年。10年後。

 

今つくってる つはるの歌を聴いたら、50手前のわたしはどんなふうに思うだろう。

 

その頃生きてるのかくたばってるのかは知らんけど、どちらかというと、生きてた方が良いかもな、とかは思える様になって来た。

 

 

人間不信だったわたしも、

 

いろんな人に助けられて、人間は助け合えるんだと気がつくこともできた

 

 

にんげんっていいな、とは思えないけど

人間も捨てたもんじゃないかもな くらいには考えられる様になった。

 

 

あの時も、あの時も、自殺しないでよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

今というほうき星

こないだふと気になって

BUMP OF CHICKENの天体観測をフルできいた

 

初めてフルできいたけど、

良い歌だった。

 

今というほうき星という言葉が歌詞の中に何度もでてきた。

 

何度も出てくるということは重要な言葉なんだろう。

 

星はきらきら光る。

今、この一瞬も、かけがえのない時間できらきら光ってる。

そんな歌なのかなと思った。

 

はたまた、ながれ星はキラッと一瞬光ったあと消えてしまう。

「今」も同じで、一瞬一瞬はすぐ過ぎ去る。

 

そんなすぐ消え去るものを「君と2人追いかけてた」

青春のきらめき的な。

 

 

話は脱線するが、

 

わたしだったら

 

午前2時に踏切に望遠鏡かついでいったら、疲れて息切れしそうだ。

 

かついだことはないけど、たぶん、望遠鏡は重たい。

筋肉痛とかになって、寝てると思う。

 

歌詞をよく確認すると、腰にはベルトでラジオを巻きつけてるらしい。

 

これはもう、次の日「なんであんなことしたんだろう」と思ってる気がする。

 

足腰、痛めてそう。

次の日の予定は全滅してると思う。

 

 

この歌に出てくるような人は

午前2時に踏切に望遠鏡かついでいっても

元気が有り余ってる人に違いないと思った。

 

そして星を見に行った数時間後、朝9時とかに、学校で勉強したり遊んだりバイトしたりしてそうだ。

 

そんな気がした。

 

若さパワーがうらやましい。

 

 

10代の頃って、30代の今に比べると、体力がかなりあったことを思い出してきた。

 

学校の授業のあと、ベースを練習し、20時ごろから部活の練習部屋でセッション。その後居酒屋へ行き終電逃し、友人宅で朝まで飲み。その後2時間くらい寝て、バイトへ行くなど。

 

今から考えるとありえないほど元気だった。

 

そんなことを思い出す曲だった。

 

(なんか変な感想になってしまった。)

 

 

今、午前2時。

 

踏切に望遠鏡かついではいけないけど

ベランダで煙草すいながら、ふと空を見上げてみた。

 

最近、割と充実した日々を過ごしている。

 

バイト、音楽、猫や友人と過ごす時間

東京へ引っ越して、好きな場所や好きなお店もだいぶ増えた。

 

悪夢を見たり寝込むこともまだある。

 

だけど、私の「今」は、ほうき星のようにキラキラ光るほどではないけど

ぼうっと、鈍く光を放ってるかもしれないな。

 

そう思った

 

助けてくれる人いつもありがとう

猫のおもちもありがとう。

 

おやすみ

 

 

 

 

怨霊について その2

結構以前、怨霊についてブログを書いた。

三大怨霊(菅原道真、平将門、崇徳天皇)と、ツタンカーメンについて書いたけど

いま、ネット上で平将門が話題らしい。

 

というのも、今月のいつだったか忘れたが、8月某日、大手町にある平将門の首塚で、某YouTuberが、失礼な配信をしたそうで、

 

その数日後に関東地方を大雨が襲い、

さらに数日後は、夜中に大きめの地震がきたので

 

ネット上では、平将門が怒ってるんじゃないか?という説で盛り上がってるんだそうだ。

 

その話をきいたとき、まず初めに思ったのが

 

「平将門は、怒ってるんだとして、なんで、地域の人丸ごと酷い目に遭わせるんだろう」という疑問。

 

もし、酷い目にあわせるんだとしたら、

 

失礼なことをした人をピンポイントで、酷い目に遭わせることはできないんだろうか?

 

という疑問。

 

だって、今夏の大雨で千葉県に住んでる人なんかは、大変な目にあったけど

殆どの人は、平将門の首塚で失礼なことなんかしてないし、、、

ふつうに、暮らしてるだけの人だらけだし、、、

 

そう考えると、

大雨・地震は、平将門のせいではないのではないかと私は思う。

 

大雨・地震は、ただの自然災害なのでは?

 

平将門は首塚で失礼なことをされて、確かに怒ってるかもしれないけど

「自然災害を俺のせいにしやがって。」ってすこし思ってるかも。呆れてるかも。

 

でも、わたしが平将門だったら

「また、オレのせいにしやがって、、、(でもちょっぴり注目集めててうれしい)」とか思っちゃうかも。

 

※わたしは、ただの凡人だからこう思うけど、平将門はきっとすごい頭の良い人だから、そんなことは思わないだろうということは記しておきます

 

昔から、天変地異や政治がうまくいかない時が続くと

怨霊の存在を思い出して、大切にしようとしてきた。

 

でも、天変地異や政治がうまくいかない時以外も、気にかけてあげた方がいいのかも。

 

私が平将門だったら、

「天変地異や政治がうまくいかない時ばかり、オレのこと大切にしやがって」思ってしまいそう。

 

平将門は、凡人の私と違い、気高い霊と思うのでそんなことは考えないと思うが、、、

 

だから、時々、将門の存在を思い出した時は、大手町の首塚のある方向へむいて、

空を見上げて

 

「将門さん、最近どうですか?」

って聞いてみたり、してあげたら、いいんじゃないのかな、とか思う。

 

 

怨霊は、もしかしたら、腫れ物扱いせず、なんでもない時にふと思い出して、気にしてくれる方がうれしいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

美術館で受けた苦痛

今日、気分転換をしようと思って練馬区立美術館へふらっと行った。

2階の展示を見た後、一階の展示室へ入った。

半分くらい、その展示室の展示を見たあとで、その展示が馬野ミキ氏の個展であったことを知った。

 

知った瞬間私はからだがぞくぞくして、身の毛がよだつような感覚におそわれた。

 

私は過去に、ライブハウス「無力無善寺」の店長から受けた性加害について抗議していた際、馬野ミキ氏から二次加害を受けた。

 

私の抗議を「悪口」と扱われたり、「俺が無力無善寺でライブをすることに邪魔をするな」といった趣旨の言葉を向けられたりした。

 

私は、自分が受けた性加害について声を上げていた。
それなのに、その抗議を「悪口」と矮小化され、自分の受けた被害を軽く扱われたことは、私にとってとても苦痛な経験だった。

 

そのため、今日、美術館で馬野ミキ氏の名前と展示を突然目にしたことで、当時言われたことやされたこと、告発前にfacebookでされた嫌がらせのことなどが一気にフラッシュバックした。

 

気分転換をするために訪れた美術館で、突然過去の被害を思い出し、具合が悪くなってしまった。

 

美術館に私個人の事情を把握してほしいと言っているわけではない。

ただ、展示や企画を行う際に、その作家が過去に他者へ深刻な加害をしていないか、被害を訴えている人がいないかということを、少なくとも可能な範囲で確認・精査することはできないのだろうかと思う。

 

私は帰宅してから、練馬区立美術館に、今回のことをメールで伝えた。

そして、今後、馬野ミキ氏の展示を行わないこと、また、展示室を利用する作家について、他者への加害の有無などを事前に確認・精査する仕組みを検討してほしいという要望を伝えた。

美術館は、誰かにとっては作品を観る場所であると同時に、安心して過ごしたり、気分転換をしたりする場所でもあると思う。

そこへ予期せず、自分を傷つけた人の展示が現れたことで、過去の被害が突然よみがえってしまう人もいる。

今日、私はそのことを身をもって経験した。

 

楽しく気分転換しにいったはずだったのに、とてもつらかった。

 

 

お気に入りだったワンピースの話

お気に入りのワンピースを持っていた。

 

20代前半の頃、頑張って働いたバイト代で買った、3〜4万円近くした気がする、sunaokuwaharaというブランドの、春服のワンピース。

 

当時sunaokuwaharaはわたしの憧れで、時々ショップに通っては、10,000円ちょっと、なるべく20,000円を超えないというルールを課して、買い物をしていた。

でも一目惚れしたそのワンピースはどうしても欲しくて、予約して買ったのだった。

 

どんなワンピースかというと

ふわっふわのウール素材だけど薄手で、真夏以外は着れるような素材で、でもぜんぜんチクチクしないし着心地はばつぐんによくて

そして北欧のいろんな人や自然や動物のデッサンのようなイラストがプリントされていて

ちいさめの襟や、そでの裾にラインが施されていたり

わたしの貧相な語彙力なんかじゃ説明できないくらい

かわいくて、でも媚びないかっこよさもあって、そのワンピースを着てる時はなんだか違う自分になれたみたいで、嬉しかった。

 

ずっと大切にして着ていた。汚してしまった時もあったけどその都度クリーニングに出して、大切にしていた。毎年毎年、しょっちゅう着ていた。

 

2016年9月の雨の日、あの日もわたしはそれを着ていた。

 

9月の雨の日、わたしは、むりやりラブホテルに連れ込まれて、同意を得ずに性加害をされた。

 

わたしはそれ以来、そのワンピースを見ると辛くなるようになってしまい

しばらくしてから、処分してしまった。

 

ワンピースは何も悪くないのだからと思って

着てみた日もあったけれど

着ると、なんだか、あの日、呆然としながら電車に乗って家に帰って、その後何日もずっと天井ばかりみていたことを思い出してしまって

手元に置いておかなかった。

 

処分する時、心にぽっかりと穴が空いた。

 

その穴は、いまでも、いまでも、ブラックホールのように、埋まらない穴のままとして

心の奥底に存在している。

 

先日、そのワンピースと全く同じものを、中古でメルカリで見かけた。

 

買おうかな、と一瞬思って「いいね」をおしたけど、悩んでいたら売り切れてしまった。

 

もし、また手に入れられたとしても、辛くなることもあるだろうから、悩んでいた。

買えなくてよかったのかもしれない。

 

ワンピースは何も悪くないのに

わたしは辛くなるので処分してしまったので

時々、ワンピースのことを思い出しては

ごめんね、ごめんねと思ってしんどくなっている。

 

最近は、海外輸入の古着屋の古着を選んで身につけることが多い。

 

どんな、物語がその古着にあったのかは知らないけれど、こんどこそは、大切にしたいと思う

 

去年や、今年に買った古着たち。

どんな未来を見せてあげられるだろうか。

あのワンピースには見せてあげられなかったもの。

それらを見せてあげられるだろうか。

 

そんなことを考えている。