宗教の施設

前回のブログで、「宗教の勧誘」について書いたので、今回は、「宗教の施設」について。


わたしは、信仰してる宗教は、今のところないんだけど、

神社とか、お寺とか、見かけると、なんか立ち寄ってしまう。

立ち寄って、何をするかというと

うろちょろと、偵察して、特に何もしないで帰ってる。


前に、とある山へ登ったとき、

その山の中腹に、カッコいい神社があった。

わたしは、なんか直感で、「この神社は、力があるな。」と思った。

きゅうに、すごく清々しい気分になったから。

わたしは、その神社で、「リボ払いが全部返済できますように。」と、祈った。・・せっかく、力のある神社で、そんなしょうもないことを祈ってしまって情けないけど、その頃の私は、毎月リボ払いに追われていて、神さまにお願いするしかないと思っていた。


山の中にある神社は、他にも行ったことがあるけど、

やっぱり、きゅうに清々しくなって、心身が引き締まる気がする。

地上よりも空に近い場所、イコール神に近い場所なのかもしれない。


わたしは、すきな神社は、割と何時間も滞在できる。

ベンチに座って、ぼーっとして、ジュースをのんだり、ぼーっとして、

わたしが、いいなと思う神社は、「山の中の力がありそうな神社」と、「しずかで、ひたすらぼーっとできる神社」。


お寺で「このお寺、いいな」と思うのは、いろんな仏像があるところかな。

多摩川沿いをずっと何時間も歩いてて、駅がわからなくて、道に迷ったときに、たどりついたお寺が、おもしろかった。

仏像のほかに、かわいい、かえるの石像があって、心が和んだ。

かわいいかえるの石像の隣には、ちいさな、お地蔵さまがいた。

その隣や、隣にも、ちいさな石像があって、ちょっとした石像広場になっていた。

石像たちは、無言で立ってて、わたしも無言で座ってたけど、

なんか、不思議と、見守られてるような気分になった。

もし、あの石像広場で、ドロボーとかしたら、

石像は、無言で立ってると思うけど、ちゃんと見ているだろうなと、思った。


神社や、お寺は、気軽にふらっと、信仰心がなくても、行けるところが多いから、良いなぁと思う。


こないだ、東京のとある街を歩いてたら、とある宗教の施設があったけど、なんか警備員が立ってるし、でっかくセコムのマークが見えてるし、入るのに、すごく勇気が必要な施設な気がした。


入るのに勇気が必要そうな、宗教の施設は、あまり行く気がしない。

なんか、信心深くないと、追い出されそうな気がしてしまう、、

家の近所に、教会があって、気になるけど、日曜日の礼拝の時間以外は、閉まっているみたいなので、入ったことがない。

礼拝に行ってみようかなと思ったこともあるけど、朝の8:50集合と看板にあって、朝、早いなぁと思ってしまって、もし間に合ったとしても、居眠りしたら、怒られたりするのかなと思って、結局いってない。


わたしにとって、良いなと思う宗教施設は、

「自分の気が向いたときに、ふらっと立ち寄り、ぼーっとして、清々しくなったり、悪いことをしたらあかんなぁと自然に思える場所」だとおもう。