お父さんとお母さん
子どもの頃、母に、
「どうして、お父さんと結婚したの?」と、何気なく聞いてみたことがある。
わたしは、父と母が、恋愛をして、結婚したとは思えなかったから、
一応、聞いてみたんだ。
母は、うーん。と言って、わかんない。。と言っていた。
結婚する前は、こんな人とは思わなかったし。と言ってた。
わたしは、やっぱり、父と母は、恋愛結婚ではないんだなと、勝手に断定して、
やっぱりな。と、納得した記憶がある。
でも、大学生くらいの時に、古いアルバムを発見して、見てみたら、
父と母が、二人で、山の頂上みたいなところで、並んで写ってる写真を発見したんだ。
それは、わたしが生まれる1年前の写真だったけど、
ふたりとも、なんか仲睦まじそうに、嬉しそうな表情をしていた。
かなり、衝撃を受けた。
このふたりにも、仲睦まじい時期があったのだと、衝撃をうけた。
子どもの頃、年末年始は、父方の祖父母の家に、家族全員で、泊まっていた。
父は、寝る前に、わたしに、白黒の写真集を、よく見せてきた。
その写真集は、沖縄の戦争の写真集で、
父は、なんかニヤニヤしながら、
積み上がった死体の写真、
集団自決した人々の写真を、見せてきた。
母は、やめなさいよとか 悪趣味ねとか言っていた。
わたしは、写真も衝撃だったけど、
ニヤニヤしながら、見せる父が、すごく嫌だった。
死んだ人に失礼な気がして、胸がチクチクした。
お母さんは、なんで死体の写真をニヤニヤしながら子供にみせる人と結婚したのかなと、その頃から思っていた。
結局、父と母が、どういう経緯で、結婚したのか? いまだにわかんないし、最近は、べつに知りたくもないかなと思うようになった。
子どもの頃、母は、キレると、
わたしに、「あんたのせいでわたしの人生がめちゃくちゃになった」とよく言ってた。
多分、母は、本当は結婚はしたくなかったのかも?と、わたしは推測してる。
母は、美大を卒業したあと、出版社で働いていた。
結婚して、退職したそうだ。
もしかしたら、仕事を辞めたくなかったのではないかと思う。
わたしが生まれたせいで、育児に追われるようになり、
絵を描く時間も全くなくなり、
たまに、雑誌のすみっこに掲載する挿絵の仕事ならやってたけど、
こんなの、ちっとも金にならないと零していた。
あんたのせいで人生めちゃくちゃになったと言われた当時はショックだったけど、
大人になってから、だんだん母の気持ちも、ちょびっと理解できるようになった。
父の気持ちは、今でも全く、理解できないけど
母の気持ちは、ちょびっとなら、理解ができる。
わたしの、母方の祖母も、ちょっとズレた人で、
わたしに、読書をしなさいと、色々、本を送ってくれるんだけど、
自殺した中学生の女の子が遺した日記と、絵と、その両親の手記の本だったり、
神戸の少年Aの両親の、後悔の気持ちや、どのように育てたかの手記の本だったり、
変な本が多かった。
ふつうの本も、送ってくれるけど、
だんだん、おばあちゃんは、本屋で平積みされてる、話題の本を適当に選んでるだけだなとわかったので、
本をもらっても、私は読まなくなってしまった。
おばあちゃんがくれた、フジ子・ヘミングのCDは、感動したけれど、
(フジ子・ヘミングも、その頃、話題になってたから買ったんだと思う)
フジ子・ヘミング以外で、感動した本やCDは、ない。
わたしは、今年の夏、怪我して入院してた、おばあちゃんが退院したので、おばあちゃんの家に行ったけど、
おばあちゃんが、 自分が心に決めた人と一緒になるのよと、なんども弱々しく言ってくるので、だんだん具合が悪くなって、その次の日は寝込んでしまった。
おばあちゃんが、色々、本をくれていた頃、
おばあちゃんになんかお礼のプレゼントしようかなと思ったんだけど、
何にすればいいかわからなかった。
おじいちゃんに、おばあちゃんにプレゼントしたら喜ぶものって何かな?ときいたら、
そりゃ、金だろ。金だ。現金が一番喜ぶよ。
と言われてしまい、結局、なにも、渡せなかった。
わたしは、両親も、祖父母も、親戚も、いとこも、好きじゃない。
この人々と血が繋がってるんだと思うと、なんか暗い気持ちになる。